この日(3月29日)の球磨地方は花曇り。
球磨郡水上村の市房ダム周辺の1万本の桜は満開になり、
県内外から訪れた多くのお花見客で賑わっていました。
写真後方は、霊峰 市房山(1722m)です。
 
 
 
 
 
 

 

球磨郡多良木町の「青蓮寺阿弥陀堂(しょうれんじあみだどう)」は、

永久3年(1295年)に上相良家第3代 相良頼宗が初代 頼景公菩提のため創建しました。

厚い茅葺き屋根の阿弥陀堂は、外観は極めて素朴ですが、荘重かつ雄健で、

鎌倉時代の様式を今に伝える代表的な建造物として、国の重要文化財に指定されています。

 

当社の焼酎蔵からの距離は、約8kmです。

※昨年「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「青蓮寺」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。

 

 

 

 

 
 
球磨盆地は、これから春の装いへと変わっていきます。
写真は、球磨郡多良木町を流れる球磨川で、正面の山は、
霊峰 市房山(1722m)です。
 
 
 
 
 
写真は、JR人吉駅前の種田山頭火(たねださんとうか 1882~1940年)の句碑です。
 
焼き捨てて日記の灰のこれだけか 山頭火
 
熊本から行乞(ぎょうこつ)に出る時、全ての日記を焼き捨てた際の心境を
人吉(昭和5年9月16日、1930年)で詠んだ有名な句です。
 
山頭火は、出家し行乞をしながら、自由律による句作をした放浪の俳人で、
昭和5年の春には、当社焼酎蔵のある球磨郡あさぎり町の浄土真宗本願寺派寺院
「了円寺」の二代目住職で、句友の川津寸鶏頭を訪ねています。
寺の入口に句碑があります。
 
れいろうとして水鳥はつるむ 山頭火
 
(当社焼酎蔵から了円寺までは、約900m)
 
※行乞・・・僧侶が乞食(こつじき)を行うこと。托鉢(たくはつ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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写真は、球磨郡湯前町の「城泉寺(じょうせんじ)」で、

鎌倉時代の初め、この地を支配していた豪族・久米氏が、自らの

極楽往生を願って建立したとされるお寺です。

茅葺き寄棟造りの熊本県内では最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されています。

当社の焼酎蔵からは、約10kmの距離です。

 

※昨年「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。

 「城泉寺」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。

 

 

 

 

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