王宮(おうぐう)神社は、球磨郡多良木町の球磨川河畔にある古社です。
神社入口にある楼門は、応永23年(1416年) 相良頼久により建立されましたが、その後、数回にわたって修復されています。
室町時代の様式をとどめる、熊本県最古の唐様楼門で、県指定の重要文化財になっています。 (当社の焼酎蔵からの距離は約6km)
※このほど「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
この「王宮神社」や「球磨焼酎」もその41件の構成文化財に含まれています。
本日、土用丑の日に、
あさぎり町にある日本七薬師の一つ、谷水薬師寺の
谷水薬師大祭が朝から夜まで無事に執り行われました。
その昔、行基菩薩がお告げにより、堂宇を建て自作の如来像を祀ったのが始まりで日本七薬師のひとつに数えられます。 山門に立つ二体の仁王様は、紙を噛んでつぶてを作り仁王像めがけて投げ、自分が病んでいる所と同じ箇所にうまくくっつけば病が治ると言われています。また、秘仏といわれる一寸八分のご本尊は、旧暦1月8日・春と秋のお彼岸・土用の丑の日の年に4回だけご開帳されます。
谷水薬師寺は、当社の焼酎蔵からは車で約5分、白髪岳の麓に位置します。
白髪岳に降った雨は、歳月をかけて花崗岩をくぐり抜け、麓の谷水薬師に湧出します。「月光水」と昔から呼ばれ、病の治療水として体によい水といわれています。この名水と源を同じくする水が、当社の焼酎蔵の地下を流れ、松の泉の焼酎造りの仕込み水となります。
司馬遼太郎氏が「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記した人吉球磨地域の人々の信仰を集めた人吉市「青井阿蘇神社」の創建は、大同元年(806年)といわれています。
現在の建物は慶長18年(1612年) 相良藩 第20代藩主 相良長毎(ながつね)公により造営されたものです。
全体の構造は鎌倉時代の様式ですが、手法は安土桃山時代の典型的な特徴を持っています。
茅葺きの楼門をはじめ、本殿、廊、幣殿、拝殿等が、2008年、国宝に指定されました。
※このほど「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「青井阿蘇神社とおくんち祭」や「球磨焼酎」もその41件の構成文化財に含まれています。
田んぼの向こうのこんもり盛り上がった山は、地元の人々に「トトロの森」と親しまれている「雨宮神社の森」です。(球磨郡相良村)
文明4(1472)年、人吉球磨地方は大変な干ばつに見まわれ、時の領主相良家12代 為続(ためつぐ)公が、この「雨宮神社」を訪れ一心に祈りをささげ、大雨をもたらしたと伝えられています。
「雨宮神社」には、「三産(しゃんしゃん)くぐり」と呼ばれる岩のトンネルがあり、くぐると「幸せを産む」、「安産」、「お金を産む」というご利益があると云われています。
(当社の焼酎蔵から車で約15分位で雨宮神社」に着きます)
※このほど「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「球磨焼酎」や「雨宮神社」もその41件の構成文化財に含まれています。